今日のネタ帳

悪ふざけの話中心です。笑っていただければ幸いです。

二種類の独裁者

世の中には独裁者という人種がいる。

自分の信念にもとづき、周囲の反対も聞かずぐいぐいとものごとを進めていく。

なにごとも結果オーライなところがあるのが人間社会で、独断専行でいい結果がでれば「優れたリーダー」とほめたたえられるし、結果が悪ければ「独裁者」とけなされる。

その逆に、周囲の意見をよく聞いてよい結果がでれば「みなの意見をよく聞く柔軟なリーダー」と言ってもらえるし、ダメな結果なら「優柔不断で右往左往するだけのダメ指導者」となる。

とかくこの世は世知辛い。

 

結果がいいか悪いかは運もあるが、結果以外にも独裁者には二種類ある、というのを以前に読んだ。

二種類の独裁者とは、自分の銅像を建てさせないタイプと建てさせるタイプなのだという。前者は自分の銅像肖像画を街に飾ることをよしとしないが、後者は生きている間から国中に銅像を建てまくる。

抽象的に言えば自分を偶像化させない独裁者と自分を偶像化させたがる独裁者ということになる。

 

 2016年に亡くなったキューバフィデル・カストロ氏は前者、銅像を建てさせないタイプだった。10年ほど前にキューバに行ったときもカストロ氏の銅像はみなかったし、数年前のニュースでもキューバで故カストロ氏の「偶像化禁止法案」が成立した、とのことであった。

シンガポールの故リー・クアン・ユー氏も銅像を建てさせないタイプの独裁者であった。旧ソ連のレーニン廟のように、共産圏では独裁者の遺体をエンバーミングして永久保存し、崇拝の対象とするような風習がある(あった)が、リー・クアン・ユー氏が亡くなったときにはそうした遺体を神格化するような措置を取らせない、という遺言があったときく。

こうした独裁者のタイプというのは身近にもいて、「〇〇式治療法」などと自分の名前をなんらかの治療法の前にくつけて喧伝するタイプなどがあてはまる。あるいは自分が生きているうちに自分の名前をつけた「××賞」とかを大々的につくってしまうタイプ。個人的には、そうしたタイプにはできるだけ近づかないようにしている。

 

さて、銅像を建てさせない独裁者と建てさせたい独裁者では体型も異なる。前者の体型はスマートなままだが後者は国民が飢えていても体型はぽっちゃりしている。自分の食欲と名声欲を制御できるかどうか、ということなのだと思う。


銅像を建てさせないタイプ、スマートな体型を保つ独裁者の代表例は、上述のとおりシンガポールの故リー・クアン・ユー氏とキューバの故カストロ氏だ。銅像を建てさせたがる、ぽっちゃり体型の独裁者の有名な例としては北の将軍一家とマリネラパタリロ殿下が挙げられるのは我々専門家の間では半ば常識となっている。